4月24日


竹富島にやってきた。
レンタサイクルで御嶽を廻ってみる。
もちろん、立ち入ったりしないし、写真もとらない。


緑生い茂る御嶽の、このすがすがしさはなんだろうと考える。
御嶽には、権威付けも聖域としての垣根も、なにもない。
生い茂った植物のなかに、ふと、光が射し、風が吹き抜けるところがある。
そうした場への、ただ身体的な感覚としての「畏れ」が生きている。


「『信仰』以前の原信仰といってもいいだろう。それはたとえば、存在するもの - 自然や人間 - へのおどろきの感覚のようなもの、したがってこれらのものを、特定の宗派的『信仰』にむけて整形してしまうことへの畏れのようなものかもしれない。」
真木悠介「気流の鳴る音」)


おそらく戦時中に作らされたのだろう、鳥居が、そうした「畏れ」の感覚に対して、妙に空々しくみえる。
鳥居(国家権力)なんかないほうがいいのに。



十八世紀、竹富島に生まれた安里クヤマは、年頃になるとそれはそれは美しく気品ある女性に成長し、島のみんなに愛された。そこに八重山統治のため王府のお役人がやってきて、美しいクヤマに目をつけ、愛人になることを要求。クヤマはそれをきっぱりと断る。


この話を唄ったのが「安里屋ユンタ」。
だから、「安里屋ユンタ」は、風土に対するラヴ・ソングであると同時に権力に対するレベル・ソングだ。


ぼくは自転車飛ばし、花が咲き乱れる赤瓦の家並を抜け、皆治浜まで駈けていった。
だが、まるで箱庭のような美しい島を廻りながら、ふと、ある想いが心に居座ってしまった。
こんなにも美しく掃き清められた白砂の路地、こんなにも繊細な星砂の浜辺、それをレンタサイクルのタイヤで踏み荒すぼくたち観光客は、クヤマに言い寄る王府の役人と同じことをしているんじゃないのか?
前に来たときよりも、いかにも観光地然とした整備が進んでいて、ちょっと複雑な気分だったのかも知れない。


村はずれにある安里クヤマのお墓に行ってみた。
春蝉が鳴き、波音が遠く聴こえ、陽射しが降り注ぐそのお墓は、楚々として美しかった。


夕方、西桟橋にもう一度行く。
日の入を観に来た人達で賑々していたので、フィールドレコーディングはあきらめた。
ぼうっと海を眺めていると、波音にまじって、かすかに、足許でクプクプいう音が聴こえてくる。
潮の引いた砂地に、ちいさな生物がたくさんいて、それぞれ呼吸しているのだ。
録音はできなかったが、その音を受信できてよかったとおもう。



夕方の船で観光客が退けてしまうと、あたりは静寂に包まれる。
そこここでコノハズクが鳴き交わし始め、蒼い夕闇の中、ヤシガニがゴソリと動く。


掃き清められた中庭に、花がぽとりと落つる。半月が雲に見隠れしながらぼんやりと辻を照らす。
急に天気が怪しくなり、夕餉の後に外に出ると雷光が音もなく空を切り裂いていた。


夜半、コノハズクが一斉に鳴き止んだかとおもうと、風呂桶ごとひっくり返したようなスコールがやってきた。
部屋の窓から見ると、福木の木立が風でおおきく撓んでいる。
この様子じゃ、明日の波照間島行きの船は欠航するだろう。


そして、嵐のなか、ぼくはぼんやり思い当たる。
昼間に感じていたことは、ただの旅行者のあまっちょろい感傷でしかなく、それこそ思い上がりも甚だしいのだ。


そうなのだ。
島の人々が毎朝夕ごとに路地を丁寧に掃き清め、花々で家の門口を飾り、先祖を篤く祀り、いまも神司が御嶽の世話をする。
それは、台風に吹き飛ばされないように地面に張り付いて暮らす「智慧」であり、厳しく豊かな風土の中で毅然と生きる精一杯の「粋」なのだ。そして、これが、きっと本来の「当たり前」なのだ。
八重山の自然も人間も、もっとずっとしたたかなのだ。


「都市に積もる雪なんか 汚れて当り前という
そんな馬鹿な 誰が汚した 誰が汚した」
はっぴいえんど「しんしんしん」)